***前回の続きです***
手術後、先生がしばらくしてから来られ、お話がありました。
「脳内の圧力を下げる手術は一応終わりましたので、脳幹への圧迫はこれで回避できると思いますが、これから娘さんの容体がどう変化していくかは、今のところは何とも言えません」
その少しあと、
娘が手術室からベッドごと運ばれてきました。
麻酔をかけられて眠っていましたが、頭に管を通され、髄液を外に流し脳内の圧力を下げているのが分かりました。
娘の様子を見て、胸が張り裂けるような想いでした。
その日、私たち家族は家に帰りました...
娘は集中治療室のようなところで、常に看護師さんが様子を看てくださっていました。
私は家に帰って床について寝ようとしても、様々なことが頭を駆け巡り、娘のことを考えると居ても立っても居られなくなり、胸が苦しくなってきて朝までほとんど眠ることが出来ませんでした。
翌日、娘の面会に行くと手術の時以来、娘の意識は戻らないままでした。
その様子を見て不安そうにしている私に、看護師さんが、
「意識は戻っていなくてもオルゴールのような音楽を流してあげると、脳に良い刺激になるんですよ」と明るくおっしゃり、娘の枕もとで音楽を流してくれていました。
看護師さんの優しいお心遣いに、今にもつぶれてしまいそうな私の心が慰めれれました。
手術後、数日すると、娘は高熱を出し始め、42度まで体温が上がりました。
高熱が続くというのは脳内にとっては危険なため、
全身をくるんで冷やす大きなアイスノンのような機械装置に娘の身体全体が包まれ、次第に予断を許さない状況になっていきました。
そして、依然として娘の意識は戻らないままでした。
私は娘のベッドの傍らに座り、重く沈んだ心に鞭を打つように、神様に必死に祈りました。
『何とか娘の命だけはお助けください』と初めのころはそればかり心の中でとなえていました。
しかし次第に、この事故を通して私は何を学ぶように神様に導かれているのかを考えるようになりました。
私は今まで無意識のうちに、娘に対してこうあるべきという理想を常に求めていたこと、
学校の成績のことや習い事に関しても、常に私が描いた理想像に娘をはめ込もうとしていました。
つまり、それは条件つきの愛情であって、無条件の愛ではなかったということに気づかされました。
そして、
楽しいところにもっといっぱい連れて行ってあげれば良かった…といろいろな事が頭の中を駆け巡り、後悔し反省していました。
元気でいてくれることがどれ程ありがたいことなのか、普段の何気ない毎日がどれだけ幸せなことか、痛いほど感じました。
娘がなんとか助かってほしい、そんな気持ちと
心のどこかで、覚悟しなければならないときがもう近づいているのかもしれない、とも感じていました。
そして、
もし、娘にまだ残された使命があるのでしたら、どうぞ娘を生かしてください。
娘のこの世での使命がすでに果たされたのであれば、神様の御心のままにお任せいたします、と娘の命を神様にお任せする覚悟ができました。
***次回に続きます***